ソウル駐在の思い出
1999年から2002年まで3年間,ソウルで勤務した思い出 その8文部科学省から在外教育施設に派遣されソウル日本人学校で三年間勤務した同期派遣組は四人いて千葉・愛知・長崎・そして福岡の私であった何かと相談しあい,協力しあった奥さん同士も仲良しになり…
1999年から2002年まで3年間,ソウルで勤務した思い出 その7ソウルでの家は借りていたある一定の金額を大家さんに預けると月々の家賃の支払いは必要がない「チョンセ」と言うシステムであった韓国はこのシステムが主流であった多分今もそうであろう大家さん…
1999年から2002年まで3年間,ソウルで勤務した思い出 その6ソウルジャパンクラブ(SJC)はソウルにある日本企業等の団体である名誉理事長は駐大韓民国特命全権大使が就任されていた年に一度,各社・各団体が集うソフトボール大会がある私の勤務先もチー…
1999年から2002年まで3年間,ソウルで勤務した思い出 その5妻が生まれたばかりの息子とスーパーに買い物に行ったレジに並ぶと,周りの人から「何を並んでいるの 赤ちゃんがいるんだから 並ぶ必要はないよ すぐ清算しなさい ほら,レジ係さん,すぐにしてあ…
1999年から2002年まで3年間,ソウルで勤務した思い出 その4妻と二人でソウル駐在に出向いたいろいろな経験をした日本人とわかるとタクシーの乗車拒否は数回に一度はあった日本の終戦記念日は韓国では光復節(植民地支配から解放された日)である8月15日…
1999年から2002年まで3年間,ソウルで勤務した思い出 その3仕事でお付き合いのある韓国人の方々と私たち日本人との宴会がたまにあった焼肉店で乾杯し,たどだとしい韓国語だったが楽しい時間を過ごしたもちろん,ソジュ(韓国焼酎)を注がれたらワンショッ…
1999年から2002年まで3年間,ソウルで勤務した思い出 その2タクシーに乗るには気合がいったとにかく飛ばす急いでますと言おうものならジェットコースターに乗っているような気持ちだから,「チョンチョニ(ゆっくり)」という言葉はすぐに学んだ「チョンチ…
1999年から2002年まで3年間,ソウルで勤務した思い出 その1ある日,バスに乗った次のバス停で,男性で杖をついた高齢者が乗ってきた座席は埋まっているいつもなら,若い誰かが立ち上がりどうぞと勧めるさすが儒教の国と感じる場面ところが,その日は違った…