博多オヤジのココロ

博多を愛し,旅を愛し,酒を愛する  博多オヤジの徒然日記 どうぞ,ごゆっくりお過ごしください。

アーリーリタイアへの各種手続き 2021/02/28

アーリーリタイアの各種手続きを現在進行形で

早期退職願   提出済
早期退職認定書 受取済
退職願     提出済

車売却     契約済
自動車保険解約 中断手続中(退会ではなく中断すると数年間は等級が維持)
駐車場     解約手続中

健康保険    妻の扶養に入るための書類準備中(これが一番ややこしい)
国民年金    退職後について区役所へ相談予定

年金      59歳節目の年金定期便が届かないので年金機構へ連絡予定

妻への感謝旅行 日時と場所を企画中 温泉旅館でのんびり

車の売却開始 2021/02/21

今は家に車は二台

アーリーリタイアしたら

車は家に一台とハンターカブで十分なので

売却に取り掛かった


カーセンサーで複数会社の査定依頼を登録すると

なんと数秒で電話が来た

最初の電話に出ている途中にも

他社からどんどんかかってくる


出張査定の日時を打ち合わせた

二社目と日時の打ち合わせをする際

他社と時間が被っては失礼だと思い

違う時間を言うと

同じ時刻で構わないと言う


その後も電話が続き

五社とのアポができた


さあ,どんな査定になるか楽しみである

 

ソウル駐在の思い出 その5 2021/02/21

1999年から2002年まで

3年間,ソウルで勤務した


思い出 その5


妻が生まれたばかりの息子とスーパーに買い物に行った

レジに並ぶと,周りの人から

「何を並んでいるの 赤ちゃんがいるんだから 並ぶ必要はないよ すぐ清算しなさい

 ほら,レジ係さん,すぐにしてあげて」とよく言われていたそうである


妻と息子と三人で食事に行った時は

お店のアジュマ(年配の女性)が

「エギー(赤ちゃん),エッポヨ(可愛いなあ)」と言って

「私が抱っこしているから,貴方たちは食べなさい」とよく言われた


数年後,ソウルやプサンを一人旅した時

以前,息子を連れて行った店に行ったら

「息子は大きくなったか 元気にしているか」と声をかけられ

「なぜ連れてこないのだ」とも言われた


それではということで

翌年,息子を連れて行ったら大喜びしてくれた

子どもを愛し,大切にする心を感じている

アーリーリタイアで学費の心配をしてくれた息子たちへ 2021/02/11

早期退職認定書を息子たちに見せた

よかったねと言ってくれた


その夜,長男は「本当に大学を続けていいのか」

次男は「自分は本当に大学に行っていいのか」と尋ねてきたと

妻から聞いた


いろんなことを考えていることに泣けてきた

次の日,息子たちに改めて話した

学費の心配までしてくれてありがとう

そういう所に君たちの成長を感じるよ

でも君たちの学費は,一切心配しなくていいからね

そのためにお父さんとお母さんは頑張ってきたんだよ


もう一つ話した

自分の意志で人生を生きるのだ

自分が選択して生きてきた結果が,今であると捉えてくれ

誰の人生でもない

自分の人生だ

応援している

幸せな人生を送ることを願っているよ


頑張れ,愛する息子たち

早期退職の認定書が届いた 2021/02/06

先日,私宛の親展文書が届いた

「早期退職の認定書」であった


早期退職が認定された

月末までに,「退職願」をはじめ

各種書類を提出する


妻や息子たちにも認定されたことを伝えた

アーリーリタイアの実現が

また一歩進んだ

「主体的」思考と「受動的」思考 2021/02/06

会議を開く

「あれが問題だ これがダメだ」の発言で終わる人がいる

これは問題提起しただけである


「あれが問題だ これが問題だ」だから

「こういう改善が必要である」「自分はこう取り組む」

ここまで発言する人は伸びる

自分ならどうするか「主体的」に思考しているからである


問題は提起するが,解決策は誰かが考え,

自分以外の誰かが実行するという「受動的」思考では

問題の責任や解決は一部の人の問題となる

これでは協働的関係性は生まれない


評論家はいらない

改善策を立て,実行するのみである

ソウル駐在の思い出 その4 2021/01/30

1999年から2002年まで

3年間,ソウルで勤務した


思い出 その4


妻と二人でソウル駐在に出向いた

いろいろな経験をした


日本人とわかるとタクシーの乗車拒否は

数回に一度はあった


日本の終戦記念日

韓国では光復節(植民地支配から解放された日)である

8月15日は外を出歩かないほうがよいと

日本大使館から連絡もあっていた


教科書問題で騒然としていたこともあった
(実はこの問題について韓国のテレビに出たことがあるが,これについてはまた機会を改める)


海外での生活はやはり大変だったいろいろあったが

韓国の方々は生活のことなど

親身になって関わってくださった

感謝している


韓国の知人もでき

妻はキムチづくりも教えてもらった


いろいろあったからこそ

夫婦で力を合わせることができたと感じている


夫婦での海外勤務は

夫婦の絆が深まるか

関係が悪くなるかどちらかになることが

多いらしいが

私たちはチャンスがあれば,また海外勤務したいと思っているぐらい

絆は深まった


そして2002年の帰国の際には

二人ではなく,三人で帰ってきた

長男を連れてである

その長男も二十歳になった